武井壮40歳 世界マスターズ陸上に挑戦 中居君から武井壮に贈る言葉が 広壮豪宕「細かいことにとらわれず、伸び伸びと」

武井壮40歳 世界マスターズ陸上に挑戦

中居君から武井壮贈る言葉

広壮豪宕「細かいことにとらわれず、伸び伸びと」


武井壮
21歳の時、陸上十種競技に出会い、その才能を発揮した
1997年9月、全日本学生選手権大会 優勝
10月には日本選手権 優勝を果たし、国内ナンバー1の座に輝いた
これは驚くべきことに武井が十種競技を始めてわずか2年半での快挙
その時、武井が出した十種競技100m走 10秒54は16年経った今も破られていない日本最高記録
武井はタレントとして忙しくなってもトレーニングが決して欠かさない
●百獣の王:武井壮の知られざる過去
1973年5月6日、東京都葛飾区生まれ
中学校では野球、高校ではボクシングとスポーツに打ち込む青春時代を過ごした
活発な少年であったが幼い頃に両親は離婚、そんな家庭環境が彼の心に暗い影を落とした
誰にも見てもらえない孤独、そんな武井少年の心の支えになったのが、2歳年上の兄:武井情だった
スポーツ好きな兄を慕い、後とついていく武井
中学を卒業すると兄は俳優を目指し、役者の鞄持ちをしながら修行を始めた
ドラマなどに少しずつ出るようになった頃、がんで亡くなった
俳優になって「たくさんの人に見てもらうこと」、亡くなった兄の代わりに
その夢を叶えるかのように武井は必死に陸上競技に打ち込んだ
わずか2年半で日本選手権を優勝、オリンピックも夢ではなかったかもしれない…
しかし武井は大学卒業と共に陸上を辞めてしまった
「優勝して次の日街を歩いても誰も俺のこと知らない訳ですよ。これって何の意味があるのかなと思った」

中央学院大学卒業後に陸上をやめ、1998年から2000年までアメリカにゴルフ留学。2001年1月から2月にかけて、台湾プロ野球リーグ・中国信託ホエールズの冬季キャンプ特別コーチを務めた後、同年3月からはスポーツトレーナーとしての活動を本格的に始め、2010年までの間、陸上選手はもとより、競輪選手・プロゴルファー・プロ野球選手の個人トレーナーも務めていた。

2003年頃(本人曰く30歳の時から)本業の合間に芸能活動を始める。スポーツトレーナーという本業を持っていたものの、本気でプロ野球選手を目指し、足がかりとして2005年1月、社会人野球チーム茨城ゴールデンゴールズに投手として入団。試合にもしばしば出ていたが、同年10月に「32歳で入団テストをやらせてくれる球団が無い」事に気付き[6]、同年末に退団している。同時期に極楽とんぼ山本圭一の草野球チーム「神様」に外野手として入団しているが、こちらは辞めずに続けていた。

仕事柄ホテル暮らしが多く、2004年頃からは家なし生活(寝場所は実家か友人の家かホテル)を送っていた。2006年3月19日にとあるバーで、犬用ガムを噛んで顎を鍛えている所をピエール瀧に発見され[7]、後にピエール瀧の番組に森山直太朗のマラソンチャレンジの為のトレーナーとしてレギュラー出演[8]。その後も同番組の企画でCDデビューするなどしたことから、ピエール瀧武井壮の第一発見者とも言われている。